ガラスのうさぎ [想い出]
30年以上前にベストセラーとなった戦争体験記、「ガラスのうさぎ」映画化されたりTVドラマになったりして、ご記憶の方もあると思います。ガラスのうさぎの像が建立されて30年と云うことで像の周りには千羽鶴が飾られていました。TVドラマ化された当時、今の家に引っ越したので、強く印象に残っています。
東京の空襲で母と妹を失ったガラスのうさぎの著者は、昭和20年8月5日二宮町へ疎開するため二宮駅へ。二宮駅付近が米軍機の機銃攻撃で5人が死亡、ガラスのうさぎの著者のお父さまも著者の目の前で、頭に3発の機銃弾を受けて亡くなりました。
著者は昭和37年に戦争体験記。「今でも花火が怖い」 を原稿用紙10枚に書いて応募、入選、その時審査員から貴重な経験なのだから1冊の本にまとめるように励まされる。
昭和52年父母妹の33回忌に向けて書いた、「私の戦争体験記」が(私家版)が出版社より、「ガラスのうさぎ」として出版され、ベストセラーになる。
当時時々二宮駅(旧駅舎)を利用してましたが、駅の柱や屋根には機銃掃射の弾痕跡が残っていました。
二宮町の図書館前に、ガラスのうさぎの著者のメッセージが掲示されていました。
私が働き始めた昭和38年ごろ、8月15日には12時に職場でも黙とうしてましたが、そんな習慣も何時からなくなったか、戦後65年、自分の年齢を毎年確認しています、戦争をしらないのは、子供たちばかりではなく、高齢者も戦争を知らない人が増えていきます。
私は就職して仕事を教えてくれた恩師が零戦搭乗員の方でした。
「運悪く生き延びてしまった」と度々仰っておられ、大変に厳しく優しい方です。(まだ元気にご健在です)
貴重なお話を沢山してくれ、その度に涙が止まらなくなりました。
特攻機には片道の燃料しか入っていない、と言うのは間違いで、他の機体から抜いてでも満タンにして飛び立った事・・・
戦争は極一部の人間が狂い、多くの命を捨てさせた事・・・
現在、世の中の歯車が噛み合わずに崩壊していくような感があります。
過去の戦争に見向きをしなくなった時、同じ過ちを繰り返すような気がします。
恩師の言葉で思いに残っているのが
「戦争は失うものばかりで得るものは無いに等しい。生き延びてしまった者は死ぬまで重い荷を背負わなければならない・・・」
体験した方だけが分かる重い言葉です。未だに返す言葉がみつかりません。
平和とは多くの犠牲の上にあることを肝に銘じなければと私は思っています。
by レイリー (2010-08-13 09:27)
戦争体験談を直に聞ける身内は皆高齢に成りました(>_<)いま三姉妹にもしっかり伝えなくちゃイケナイと思う夏休みです。
by 甘党大王 (2010-08-13 11:57)
こんにちは^^
今後同じようなことが起こらないように、祈るばかりです。
by mimimomo (2010-08-13 15:55)
もう戦争は嫌だ!!
by mamii (2010-08-13 16:49)
横浜での戦災。疎開先での広島原爆。(私は動員先の長野にいましたが)もう2度と経験したくないです。
by kazoo (2010-08-13 21:52)
わたしが小学生か中学生の頃は8/6とか8/15は学校に行っていました。福岡ですが...今はもう登校日ってないのでしょうか。
by tanaka-ma3 (2010-08-15 13:02)