大潮の左義長以前は1月14日に行われていたセエノ神サン(道祖神)の火祭りをサイトバライ、セエトバライ、団子焼きなどと呼んでいたが明治後期大磯に居を構えた、伊藤博文の側近により左義長と呼ばれるようになり今に至っている。かなり前から左義長は1月14日ではなく第2又は第3日曜に催されるようになった。