毎年梅の季節になると徳富蘇峰記念館の梅は見に行っているが、記念館の中には入ったことが無かった、、過日TVドラマで敗戦時の事が放映され、徳富蘇峰の名がでていた、妻が見学したいと言うので入ってみた。
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この記念館は戦前、戦中、戦後、徳富蘇峰に秘書として仕えた人が蘇峰の13回忌の年に自宅に開設した。
蘇峰と苦楽をともにした秘書に蘇峰は書簡、蔵書、揮毫、原稿、など多数を託したと言う。(岡本かの子。九条武子の蘇峰宛書簡)
明治時代 、国民新聞社を創刊、藩閥政治を批判した事で知られるが、日露戦争後、日露講和条約を支持した事で、講和反対の民衆の焼き討ちに会う。(平福百穂の屏風画、牛)
明治、大正、昭和の3代に渡り活躍した言論人であり歴史家であるが、太平洋戦争後A級戦犯容疑に指名され(83才)自宅拘禁される。 戦中に受賞した文化勲章を辞退。
公職追放解除の1952年「近世日本国民史」100巻完成(90歳) 1957年熱海にて95歳で逝去
A級戦犯容疑者と言うことは初めて知った、私は近代の歴史について殆ど知識が無いことを痛感した。